第3話:「コロナ雑観」

21世紀にもなって、疫病に生活を脅かされるなどと思っていた人はいるのだろうか?少なくとも私は、想像すらしていなかった。ペストや天然痘などなど、恐ろしい病気はすべて過去のもの。現代医療はそれらをすべて克服しているのだと思い込んでいた。確かにSARSやMERSなどが話題になったことも記憶にある。実際SARSが流行した際、私が乗り合わせた飛行機に発熱した乗客がいたため、映画で見るような防護服を着た人たちが複数乗り込んでくるという経験をしたこともある。しかし、それでもSARSやMERSが実際に私たちの生活を脅かすことはなかった。だから、19年の終わり頃から新型の肺炎が武漢を中心に大流行しているというニュースが頻繁に流れるようになっても、それほど気にはかけていなかった。またSARSやMERSのように、気づいた時には忘れ去られているのだろうと思っていた。20年の1月にフィリップ・アンセルモ・アンド・ジ・イリーガルズが来日した際、大阪公演も見に行った。その頃、大阪では新型肺炎がかなり出ているみたいな報道もあり、念の為マスクを装着して大阪へ向かった。それでも普通にライヴは決行された訳だし、会場で会った知り合いは、私のマスク姿を見て、そこまで気にする必要ないのではと、なかばからかうような発言をしていたものだ。2月にはキャトル・ディキャピテイションの来日公演も見に行ったが、その頃はかなり警戒感も上がっていた。そして結局、これが私が見に行った最後のライヴになった。3月にも何本かライヴを見に行く予定になっていたが、すべて延期、もしくは中止。そこからの数ヶ月間は、多くの人の恐怖感がマックスに達していた時期だろう。あの時のこの世の終わり感は、1999年の7月を軽く超えていた。あれから一年以上が過ぎたが、いまだ来日公演は復活していないどころか、復活の兆しすら見えていない。音楽業界にとっては、当然大打撃である。

とは言え、コロナ以前は音楽業界が好調だった訳でもない。90年代にピークを迎えたCDのセールスは、その後右肩下がりになっていったことは周知の通り。携帯電話の登場や、娯楽の多様化など、さまざまな理由が唱えられた。インターネット上のファイルシェアが当たり前のものになり、「音楽=お金を払って聴くもの」という概念がどんどんと希薄になっていった。今では違法アップロードなどではなく、アーティストやレーベルがYouTube上にアルバムをフルにあげるのが当たり前のことになっている。ヘヴィメタルはまだCDやLPにこだわるマニアが一定数存在するだけマシであるが、アメリカやヨーロッパでは、CDはほぼ壊滅状態と言って良い。わざわざCDを買って音楽を聴くなどという発想が、そもそもなくなっているのだ。もちろん有料のストリーミング・サービスは隆盛を誇っているが、そこからアーティストが得られる収入など微々たるもの。結局サービスを提供している会社だけが大きな利益を得る仕組みでしかない。大金をかけてアルバムを制作し、それを売って利益を得るという仕組み自体が不可能になってしまったのだ。

アルバムでお金を稼げなくなったアーティストたちは、ツアーに頼るようになった。ツアーの回数を増やしただけでなく、チケットの値段も上げた。島国である日本は、もともと来日アーティストのチケットは高いものであったが、アメリカなどではUSD20以下で見られるライヴがいくらでもあった。それが今では2倍、3倍以上の値段も当たり前。上がったのはチケット代だけではない。マーチャンダイズの値段も跳ね上がった。USD10程度も珍しくなかったTシャツが、今ではUSD40でも驚くに値しない。稼ぎにならないニュー・アルバムを出すのも、新たにツアーをやるためのきっかけ作りだ。とにかくツアーをやりまくって、みんな生計を立てていたのだ。

ところが、コロナによるパンデミックは、バンドの最後の頼みの綱を切ってしまった。世界各国をまわり、Tシャツなどのマーチャンダイズを地道に売ることすらできなくなってしまったのだ。ライヴが無くなって困るのは、もちろんバンドだけではない。PAや照明の担当、機材のレンタル会社、そしてライブハウスなどは、印税などが入ってくる訳でもないので、直接的ダメージはバンドよりも上かもしれない。実際世界中で多くのライブハウスが閉店に追い込まれ、ツアー関連の仕事で生計を立てていた人の多くは、「普通の仕事」へと鞍替えを始めている。

予想以上に長引くパンデミックの中、ライブストリーミングが大きな注目を浴びている。インターネットでライブを中継する訳だから、世界中のファンに見てもらえるというメリットは大きい。さらに最近ではライブストリーミングを行ったあとに、それを「ライブ」アルバム、あるいは「ライブ」映像作品としてリリースする手法も定着してきた。これまでもスタジオライブ盤というものもあることはあったが、やはりこれはパンデミック時代の新たなフォーマットと言えるだろう。だが、ライブストリーミングにも問題がない訳ではない。熱狂するオーディエンスを目の前にして、自らのテンションも高めていくというアーティストは少なくない。だが、ライブストリーミングにおいては、オーディエンスは存在しない。せいぜいスタッフが何人かいる程度だ。その中で、ライブならではのテンションをキープするのは容易ではない。だから、ハナからライブストリーミングを拒否するアーティストもいるし、やってみた結果、「これは違う」と感じて撤退という人たちもいる。やってみたはいいけれど、労多くして結局大赤字、なんていう話も耳にする。最初は物珍しかったライブストリーミングだが、供給過多になり、ファン側も覚めてきたということもあるかもしれない。当たり前のことであるが、ライブストリーミングは、本物のライブの代替物という訳にはいかないのだ。

やはり頼みの綱はワクチンということになるのだろう。だが、ワクチン接種が一段落したところで、音楽業界はすぐに元に戻るのだろうか。コロナ禍に襲われたこの1年間で、人々の心理は大きく変わった。人々が密集したところは恐ろしい場所となり、お釣りを受け取る際に手が少し触れるだけでも抵抗を感じるようになった。ここまで変わってしまった私たちが、ワクチン接種が済んだからといって、昔のように無邪気にモッシュピットに飛び込んでいけるものなのだろうか?そもそもワクチンは、変異種が出てくれば無効になる可能性もあるのではないか。飛行機代の問題もある。旅客が激減したせいで、飛行機の便数も激減。そうなると、当然航空券の値段も跳ね上がる。普通に考えれば、旅客の数がコロナ以前の水準に戻るまでは、航空券の値段は高水準にとどまるということだ。そうなると、アーティストにとって海外ツアーは容易ではなくなる。日本へツアーにやってくる多くのアーティストは、例えばオーストラリア、ニュージーランド、そして他のアジア諸国も同時にツアーをするケースが多い。そうしないと採算がとれないからだ。だがそのためには、それらの国すべてがコロナを押さえ込んでいる必要がある。例えば、日本でコロナが収束していても、オーストラリアがまだ外国人の入国を受け入れていなければ、そう簡単に日本ツアーは実現できないということになるのだ。悪材料は、これらだけではない。フェスが加入する保険の値段も跳ね上がるだろうと予想も出ている。コロナでイベント自体が無くなるかもしれない、あるいはそのイベントでクラスターが発生するかもしれないなど、リスクばかりが格段に増えている状況だからだ。そうなると、プロモーターがアーティストに払えるギャラが減ることになる。先ほどTシャツの値段が上がった話をしたが、その一因にマーチャンダイズの売り上げから手数料を取る会場が増えてきたということがある。バンドは、さまざまなものに手数料を払っている。ツアーをブッキングしてもらえば、エージェントに手数料を払う。そんなの当然だと思うかもしれないが、ツアーが赤字になり、バンドが大損しようが、エージェントには必ず収入が入るという仕組みなのだ。そして、世界がパンデミックに襲われて以降、その手数料のパーセンテージを引き上げると発表している大手エージェントもいる。ますますバンドの手取りは減る傾向にあるということだ。

というわけで、音楽業界を取り巻く状況はことのほか厳しいのである。俺たちは、知らないうちにすでにラストライブを済ませているのではないか。そんなことを言うアーティストもいるが、これもあながちジョークではないのだ。すでにそれなりの地位を確立しているバンドでないと、そもそもツアーすらやれないなんていう世界が本当にやってくるかもしれない。もちろんそんなことにはなって欲しくないし、一刻も早くコロナ前の世界に戻って欲しいところであるが、残念ながらなかなか明るい未来は見えないのである。




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